大峯山 (1719m)
古の日本人は、遥かなる峰々・豊かな森・断崖絶壁などに畏敬の念を抱き、また水をうみ、生命の源と考えた山岳をね神聖な場所としてき崇めてきた。
この自然崇拝や神道と仏教などが融和したものが修験道であり、中でも大峯山「山上ヶ岳」は、我が国最初の山岳信仰の聖地として千三百年の歴史を刻み、今なお多くの修験者が山に入り自身を見つめるなど修行に訪れており、ここ天川村、大峯の山々は少なからず日本人の精神形成に影響を与えた場所といえます。
自然と一体となった景観・文化・歴史。
多くの高僧・貴人が訪れ新たなものを生み出し、また再起を促す大切な場所として、聖なる自然環境を受け継ぎ高い次元で保全しなければならないことを、多くの皆さんに理解していただかなければなりません。
平成16年7月に霊場「吉野大峯」とその参詣道「大峯奥駆道」は、高野山、熊野三山などとともに「紀伊山地の参詣道」として、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。日本では12番目の登録となります。また、道としての登録は、スペインとフランスを結ぶ「巡礼の道」とここだけということになります。
人は、山に登って綺麗な空気を吸って、心身を鍛えることは、大切です。
ひたすら山に登るということは
自然に生きること、
自然に感謝すること、
山に登ることは、
自然と一体になること、
私たちも力強く大地に生きる樹や草のよう強く生きていきたいと思う 。
今から千三百五十年前に、現在の奈良県御所市の吉祥草寺のある地で誕生した。
葛城山で修行をした「役行者」初めて修験道を大峯山(世界遺産)で開いたとされています。
役小角(えんのおづぬ)とも呼ばれていました。岩窟に籠って修行を積んだ結果、「孔雀明王」の呪術を修得し、呪文を唱えては奇跡を起こした。孔雀明王とは孔雀を神格化した仏のこと。民衆を救うために蔵王権現を祈り出たり、あるいは、雲に乗り自由に空まで飛んだりして、超能力者としても大活躍しています。これらの話は古い書物「日本霊異記」「今昔物語」伝説あるいは民話として伝えられています。役行者の両方には、生駒の山中でつかまた二匹の鬼が常に前鬼・後鬼として控えています。後鬼は洞川村の祖先とされています。役行者は、神変大菩薩とも仰がれ、また修験道を開いた元祖として、多くの人々に親しまれているまことに霊妙、不思議な方であり、現在でも厚く信仰されています。
戸明け式(5月3日 午前3時より)
戸締め式(9月23日 午前3時より)
龍泉寺 → (約10分) → 大橋登山口・遥拝所 (P有料) → (約20分) → 一之瀬休憩所 → (約35分) → 一本松茶屋 → (約30分) → お助け水 → (約25分) → 洞辻茶屋「吉野からの合流点」 → (約10分) → 陀羅尼助・西浦清六茶屋 (杖焼印・朱印有り)
ここから心引き締め山伏修業磐が多い (約30分) → 鐘掛岩の行場 → (約10分) → お亀石 → (約15分) → 西の覗 (二の行場) → (約15分) → 大峯山寺(世界遺産登録・重要文化財) → 日本岩
龍泉寺
大橋登山口・遥拝所
お助け水
洞辻茶屋
陀羅尼助西浦清六茶屋
鐘掛岩の行場
お亀石
西の覗 (二の行場)
大峯山寺
日本岩
大峯山道中にある陀羅尼助 西浦清六茶屋
5月3日から9月23日(土・日・祝)開いています。
大峯参拝記念として 杖の焼き印、朱印、いろいろ記念販売休憩にお立寄り下さい。
今から、1370年前役行者(えんのぎょうじゃ) 奈良県の御所市茅原と言う所で生まれました。
葛城山で修行し修験道の開祖と呼ばれている。
大和盆地の南部、西に金剛・葛城の山並を間近に望む御所市茅原の地に伽藍を構える吉祥草寺は、山号が茅原山、金剛寿院吉祥草寺と称する古刹です。この地は修験道の開祖役行者神変大菩薩の出生地とされ、当時は役行者(小角)の創建と云え、境内の一角には産湯の井戸がのこされています。西に聳える葛城山系は、若き日の小角の修行の場であり、その主峰葛城山(現在の金剛山)は、小角が鬼神を使って金峯山(大峯山)との間に石橋を架けさせようとした所です。後に葛城山系の峰々には、法華経が一品(いちぼん)ずつ埋納され(葛城廿八宿)、葛城修験の舞台となったのです。
入峰修行とは、役行者が修行の道場として開かれた山に登り、自然の声を経典とし、心身を練磨することにより、清浄心を磨き出し、仏と我とを一致されることを求める修行です。聖護院では春に大阪、和歌山、奈良の県境にある葛城山脈の修行、夏には大峯山脈を百キロ以上を歩く大峯奥駆修行、数年に一度全国の修験道場である名山・霊山を修行する国峯修行などを行っています。明治までの宮門跡の入峯は、聖護院出発後御所に向かい、宮中でのご祈祷後、お撫物を拝受し入峯修行に向かわれました。門跡の乗られた四方輿を中心に、山伏・行者の行列は、約2万、6キロ以上にも及び、京都五大行事の一つ「京一日の花」とまで言われました。
大峯修行西の覗き
葛城修行友が島
大峯山の登山口洞川(どろがわ)にある大峯山龍泉寺は、真言宗修験(当山派)総本山醍醐寺の大本山であり、大峯山寺の護持院でもあります。
白鳳年間(645〜710)役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯を開山し、修行していた頃、山麓の洞川に下りられ、岩場の中からこうこうと水が湧き出る泉を発見されました。役行者がその泉のほとりに八大龍王尊をお祀りし、行をしたのが龍泉寺の始まりであると伝えられています。この泉を「龍の口」と言い、この地を龍神様の住まわれる泉ということから、龍泉寺と名付けられました。
その後、修験道中興の祖、聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)によって再興修行され、修験道の根本道場として修行者を迎える霊場となりました。龍の口より湧き出る清水によって満たされた池は、水行場としても名高く、修行者の身心を清める第一の行場となっています。
昭和21年(1946)洞川の大火によって、境内の建物のほとんどを焼失しましたが、昭和35年(1960)、立派に伽藍の復興がなされ、同年、女人解禁されると共に滝行場である龍王の滝も整備されました。また、境内の背に控える山は県指定の天然記念物となっており、広大な原生林が四季折々の美しい風景を楽しませてくれます。
行者山伏
大峯山遥拝所
お助け水
洞辻茶屋
でむかえ不動吉野洞川合流点
小鐘掛と新道分かれ道
小鐘掛け
一の行場鐘かけ磐
大峯の気を感じて
二の行場西の覗き
南無神変大菩薩
いよいよ天空の修験の道へ
等覚門
吉野宿坊龍泉寺宿坊
妙覚門
大峯山本堂
山上ヶ岳お花畑
日本岩
海抜1719.5メートルの山頂にある日本山岳有数の大規模建築で、門口約24メートル、奥行約20メートル、棟高約13メートルの寄せ棟造り。内陣部分は元禄4年の建立ですが、その後、宝永3年(1706)にかけて外陣部分の拡張が行われています。毎年数万人の参詣者があり、役の行者が大峯山にて感得した蔵王権現を本尊としています