大峯山修験法具(1)

行者山伏とは

山に伏しし修行をするので山伏いう。昔は山臥(ゆまふす)と書いたが、伏しの字を使うようになって文字の意味を持たすようになった。我が一身に法心・報心・応身の三身を具足する三身即一の印といい、伏しは人偏の人を法性とし、犬は無明であるゆえ、無明法性不二一体(迷いの世界と悟りの世界は別々に存在せず一体のもの)ととくのである。即ち凡人のままで悟りの境地を得られるものを山伏という。
山伏とは、即身、端的に言って生きたままの姿で仏になる道を修行する人のことである。
その論拠は私達人間がは全て生まれながらにして仏になれる天性を具有しているが、成長するに従い六つの窓から迷いの雲が入って来て仏になれる天性を曇らせ、遂に煩悩の闇の中に入っていくから折角の仏になれる天性を生かす事ができない。だから煩悩の根源である六根を清浄にすれば、自ずと仏になれる道が開かれようと言う事である。
仏の言葉で私達の身体と心のことを六根という。般若心経と言う経文の中で眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんい)と言う。六文字が出てくる。眼と耳と鼻と舌、即ち口それに手と身、この五つを五体と言い、それに意、即ち心を加えれば六つになる。人間の迷いや苦しみは此の六つの根源より生ずると説いてある。
ちなみに生まれたばかりの嬰児は、仏そのままの姿である。何の邪心も欲望もない文字通りの天心無垢の姿であるが其れが成長するに従い、眼で悪いものを見て悪いことを覚え、耳で悪いことを聞いて悪いことを覚え、舌で悪い味を知って悪いことを覚え、手足で悪いものを触れて悪いことを覚え、心でよからぬ事を妄想して悪いことを覚える。
だから山伏は山に入り山念仏を唱える。 懺悔(さんげ)、懺悔 六根清浄と言うことは、身体を清め心を清めてという意味である。そして六根を清浄するために山伏特有の装束で身を包み山に入峰し修行を行うのである。

修験者の法具と山伏の装束について

頭につける頭襟(ときん)、肩から掛ける袈裟(けさ)、錫丈(しゃくじょう)、数珠、腰に付ける界緒(かんのお)、手甲、脚絆、引敷、法螺貝、わらじ、白地下足袋、金剛杖、被蓋(ひがい)、笈(きゅう)、鈴懸(すずかけ)、かんまん、はちまき、たすき、鈴、傘(班蓋はんがい)装具のかかわりこの装具を一つ一つ仔細に調べますと、全部六と言う数がまつわり付いてくる事に気づく。
そして、六根清浄とか六波羅蜜とか或いは六度の行とか六凡四聖・十界を六つの梵天と四つの聖者の世界にわけたもの。地獄界、餓鬼界、畜生界、人間界、天上界と、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の十の階段を十界て言い、具体的には肉体の行、仏の行と云う事になる

頭襟
遠くより眺めると黒一色に見えますが、手にとってよく見ると左側より六つ、右側より六つ、計十二の線がありそれをここでまとめている。
これは私達人間が十二の因縁があって、それが、ばらばらになってはるから色々な苦しみや悩みがあるということである。
この十二の因縁を一つにまとめられる事が出来れば、それ程の苦悩から解脱する事が出来るが、これを一つにまとめられるのは仏の知恵でしかない。 だから仏の知恵をあやかる為、これを頭に頂く。こんな小さいものでもこれだけのいわれが有る。ある時は岩場を登る時のヘルメットとして頭を保護し、ある時は水を飲む器として使用できる。
袈裟
山伏特有の袈裟です。山伏の袈裟には前の方に四つの、後ろに二つ、計六つの房があり、これは六度の行をする為のものであるから、三本の布を真ん中で結んである。山伏の袈裟を結袈裟(ゆいけさ)といっている。
此の布い一本一本にそれぞれの専門的な意味がある。
数珠
玉が百八つあり、親玉を中心として片側が衆生界(しゅじょうかい)片側を仏界に分けております。
私達人間には百八つの煩悩(ぼんのう)を一つ一つ打ち砕いていく事で意味があり、山伏の場合は此の煩悩を手の平の中に押し揉み込み、百八つの煩悩を忘れようとする意味が理解できるような気がいたします。
私たち苦しいときの表現に四苦八苦と言う言葉を使いますが、文字が異なりますが四苦(九)三十六で八苦(九)七十二ですから合わせて百八つになります。
錫丈
山伏が護摩を炊く時、或いはご本尊の前で般若心経を唱える時、この錫丈を振ります。錫丈の意味は私達人間の悪業は身口意の三蜜から出る。「身」の三悪は殺生、偸盗(ちゅうとう)(十悪の一つ物を盗む事、五戒の一つとして禁じられている)、邪淫(じゃいん・男女の道に外れた交わり)、「くち」の四悪は妄語(うそ)、悪口(わるぐち)、両舌(にまいじた)、綺語(心にもない飾り言葉) 「意」の三悪は瞋恚(しんい・はらをたてる)、慳貪(けんどん・欲が深く財貨をおしこんで人に与えることをせず、むやみに物をほしがる心) 邪見(じゃけん・物事を正しく見ない)この十悪により逃れるために、この六本の輪を打ち振り六波羅蜜を行する。六波羅蜜とは、壇 戒 忍 進 禅 慧の六つであって、「壇」は施し「戒」は十悪を戒める。「忍」は耐え忍ぶ。
「進」は精進、努力。「禅」は座禅、禅定。(生まれつき心を統一できる力を生得禅定、修行の結果得られる力を修得禅定という) 「慧」は仏の知恵。(かしこい、物事の本質を見抜く眼力)錫丈には、この様な意味があると言われている。
界緒
生糸で編まれた綱ですが、片方十八尺、両方で三十六尺あります。実用的には山を登る為、或いは下山する時「ザイル」 の役目を致します。山岳修験道の仏教的な意味からは、私達が生まれたときのせい帯、へその緒を意味し、仏になって生れるためのへその緒を形取っております。
引敷
実用的には、岩場に座ったり、また、土間にお尻を下ろす時など、お尻が濡れたりしない様に便利に作られていますが仏教的な意味は、この毛皮を獅子にになどらえ獅子の上の菩薩、即ち知恵の文殊菩薩にあやかる意味があります。
法螺
修験者の士気を鼓舞し、また合図わするもので、山上がまだ開拓されない時代にはこれを吹く事によって獣などを驚かしせしめた。又、この音は如来の説法であって、一度この音を聴く時、我等生死の夢を驚かし歓喜の心を生じ、速やかに仏果菩薩を得る事が出来る。
金剛杖
修行に際し歩行を助け、山獄は跋渉に補助となる。

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